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「コーラス新庄」の皆さんによる披露は、さわやかな朝に印象的でした。 曲目は、「ふるさとはメルヘンの里」と「いつの日かあの村に帰らん」でした。 美しい歌声が会場にひびきました。
可愛らしい園児6名による、元気一杯の披露です。 一生懸命に演じる姿が微笑ましく、 会場からは、惜しみない拍手が贈られました。
3 回目の日本再発見塾以降、恒例となった『歌垣』。
歌垣は、お互いの顔や名前を明かさずに歌のやりとりによって結ばれた、いわば古人(いにしえびと)のカップリングパーティです。自分に贈られた歌が気に入れば、相手に歌を返してカップル成立、というルールです。
呼びかけ人の上野誠さんと黛まどかさんの司会は「本当にぶっつけ本番?」と疑ってしまうほどに、見事に息が合っていました。
今回は、参加者に事前に伝えられた4つの愛の「問句・問歌」の中から、心惹かれる句や歌に、「答句・答歌」を返しました。その中から各問句に対して黛さんが3句、問歌に対しては上野さんが2歌ずつ「答句・答歌」を選びました。
この時点では、誰が「問句・問歌」を、そして「答句・答歌」を詠んだのかわかりません。容姿や年齢、年収にとらわれず、歌のやり取りだけでカップルを決めるわくわくどきどきの知的恋愛ゲーム、それが『歌垣』です。
■問歌1
いつまでもひかり降り注そげ山里に 村のしあわせ照らす光と
(笹野寛村長)
「村のことを深く想っている人の歌ですね」と上野さん。この歌を作った方は、なんと村長さんでした。それを受けて「なんとなくマニフェストのにおいがしたんですよ。」と、すかさず上野さんの突っ込みが入ります。
■答歌
永遠にこのまま居たいね山里に 老後はここに新庄村に
(細井幸恵さん・埼玉県)
選 こたつでの語らい尽きず夜は更けて 彩りの山毛布のごとし
(牛込紀子さん・神奈川県)
「老後はここに…」の歌の作者は皆さんの予想に反して、若い女性の方でした。
■問歌2
きみ思いただ会いたくてとびだした 白い月夜にほほ赤らめて
(ひめっ子ちゃん・新庄村キャラクター)
「三回目にして初めて、『人類の枠』を超えた歌垣が実現しました」と上野さんのコメント。村の方によるとこの歌は、他の村のキャラクタ―を思って作ったのだそうです。
■答歌
雨あとに君を向える山紅葉 はやる気持ちは腹すき小僧
(野ア洋光さん)
選 ほほそめて山里の朝ひとりいる 遠くに行きしきみを思いて
(山根清史さん・広島県)
「老後はここに…」の歌の作者は皆さんの予想に反して、若い女性の方でした。
返し歌には呼びかけ人・野ア洋光さんの歌が。しかし、乙女心を掴み、選ばれたのは山根さんでした。
■問句1
再会を称へて山の粧へる (黛まどかさん)
問句の作者を発表する前から、詳しく句の解説をする黛さん。上野さんから「何で問句の人の気持ちが
そんなにわかるんですか?」との突っ込みが入ります。もちろんこちらは黛さんの句でした。
■答句
粧へる山のふもとできみ想う (板野康治さん・岡山県)
彼方より落ち葉ふみ来 君想ひ (乗竹亮治さん・東京都)
選 酌みかわす酒の温もり村時雨 (栢野晶子さん・岡山県)
答句の作者は、若い男性二人と女性一人でした。選んだ句の相手に胸を躍らせる黛さん。
しかし、選ばれたのは唯一の女性、実は上野誠さんのお姉さまでした。
■問句2
我は霜君は天なる超新星 (茂木健一郎さん)
問句の主は、茂木健一郎さん。「『超新星』は、新しい恋人ができそうだという
意味では?」との上野さんの解説に、会場の空気は和みます。
■答句
選 流れ星地の霜のもと降りそそぐ (平野弘枝さん・千葉県)
霜柱踏みきぬぎぬの別れかな (黛まどかさん)
流星は霜降る山に落ちにけり (栢野晶子さん・岡山県)
若い女性2人に加えて、黛さんの歌も答句の候補に選ばれました。「茂木さん、まさか私の句がわからないわけないわよね。」と黛さんから圧力がかかります。
困ってしまったと頭を抱える茂木さんでしたが、冷静な分析力で見事黛さんの句を当てました。
さすが脳科学者です!
しかし、最後には黛さんの句ではなく、迫力ある平野さんの句が選ばれました。
以上4組のカップルが誕生し、歌垣は盛況のうちに終了しました。答歌・答句の中には、新庄村の素晴らしさと人の温もりを感じながら、1日目の出逢いや出来事を詠んだものも沢山ありました。黛さんと上野さんの夫婦漫才さながらの名司会、名解説の下に各々の詩歌の言の葉を味わいながら、改めて日本語の豊かさ、コミュニケーションの大切さを再発見する機会となりました。
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林業、農業、牧畜業、また山陰と山陽をつなぐ宿場街として栄えた新庄村で過ごした2日間を振返り、心に残ったことや再発見したことを、参加者、地元達人、村民、呼びかけ人、学生実行委員の感想や発言を募って意見を交し合いました。
進行役の澁澤さんによると、このあたりは鎌倉幕府が関東武士団をおくりこんだところであり、中世の農村風景が残っているそうです。京都、関東、地元の言葉がまじる土地であり、新庄村には森があり、田があり、畑があり、自給ができるのだとか。「喜びも楽しみも恋もお金で買えるバーチャルな世界があるのに対し、ここはリアリティの世界だ」とする説明をもとに放談会が始まりました。
参加者から集めたアンケート結果がまず紹介されました。「印象的だったことは」の問いに対して「朝ご飯がみんな自家製の食材だった」「みんなが親切」「風景が丸くて温かい」といった回答が紹介され、そのたびに、参加者の皆さんがうなずきます。「残していきたいもの」では「立ち止まる勇気」「水」「心」「人と人とのつながり」。これにまた多くのひとがうなずきました。「なくしてもいいもの」は「都市文明の農村に対する優越感」「コンビニ」「携帯電話」「汚い言葉」。
次に、6人の学生実行委員が登壇し、自己紹介をし、感想を言いました。村長さんを喜ばせたのは、ふたりの女子学生から出た「お嫁に来たい」という言葉です。社交辞令かもしれませんが、高齢化の進む過疎の村の嫁取りの深刻さがうかがえました。
フロアーに議論を開くと、次々に手があがり、発言がありました。「新庄村が『メルヘンの里』といっているのにひっかかる。あの教会のような村役場は・・・」という苦言もあれば、「親戚ができた」と涙ぐむ人も。「田舎のない団塊ジュニアに田舎を提供するシステムがあれば……」には、うなずかされました。村民の側にマイクを向けると、「嫁に来ますといわなくてもいいから、遊びにきてほしい」と意外に冷静でした。参加者側にとって嬉しかったのは、「新庄の良さを改めて知った」とする声でした。日本再発見塾は、参加者だけでなく、迎える側も、自分たちの地域を発見する場となりました。現実は単純ではありません。新庄村の生活は、車なしには成立しません。農業だって機械を使い、油が要ります。その現実を知った上で、日本を再発見していくことが大切なのではないでしょうか。
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新庄村特産のもち米「ヒメノモチ」を使ったつきたてのお餅と、新庄村のお母さん方が作ってくださった「ごっつおう(ごちそう)弁当」が振舞われました。会場では新庄村の特産品も販売され、賑やかな昼食となりました。
新庄村の餅つきは、「水と(合いの)手を入れず、四人で一気につきあげる」という手法が特徴です。四人で囲んだ臼へもち米が投入されると、「ハイッ」「ヘイッ」という威勢のいい掛声と共に、順々に杵でついていきます。四人がテンポ良く軽快についているため、それほど難しそうに見えませんが、水を入れないため、粘りが非常に強く、大変な作業です。5分ほどであっという間につきあがったお餅は、「雑煮」「あんこ餅」「よもぎ餅」でいただきます。つきたてのお餅は、ほのかに甘く、舌触りがなめらかで、まさに絶品です。
また、お弁当の献立は、新庄村の昔ながらのごちそうが再現されました。お品書きが入っていたことに加え、幼稚園児の心がこもったメッセージ「またきてね」入りの割箸には皆感動しました。
箸袋は、幼稚園児がメッセージを入れて丁寧に手作りしてくれました。
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新庄村実行委員、達人、学生実行委員、呼びかけ人より閉講の挨拶がありました。
●渡邉精一・新庄村実行委員会副会長
心配していた雨も上がり、開催中は天候に恵まれ、二日間に渡り再発見塾に多くの皆様に参加して頂き感謝を申し上げたい。今回の塾は、フィールドワーク、郷土料理、民泊を通して、自然と人、人と人、今と昔、都会と農村の繋がりがテーマになっていますが、村民も小さな新庄村を再発見し、もっと魅力的になるようにしたいと思っています。参加者が新庄村での交流を通して様々な地域で元気になるようにしていかれる事を祈念しています。
●地元実行委員及び学生実行委員のメンバー紹介
・ 地元実行委員:委員会会長 磯田博基さん、宿場町担当 渡邉さん、磯田和人さん、料理班担当
高村さん、森と暮らし担当 臼井さん、民泊担当 班長佐藤さん、坂本さん、食のつながり担当 酒井さ
ん、輸送班班長 山田さん
・ 学生実行委員:礒アさん、中アさん、白幡さん、秋田さん、菱木さん、寺地さん、
ポスター担当 石井さん、大町さん、コピー担当 小宮さん
●池田仁士・地元達人代表
呼びかけ人及び事務局の皆さんには改めて感謝申し上げたい。また、地元の実行委員、役場の方々、
学生実行委員の協力を得て、村民上げて参加者を迎える事ができた事を嬉しく思います。皆からパワー
をもらって、小さな村がキラリと光る立派な村に再生していくようにこれからも頑張りたいと思います。
●黛まどか・呼びかけ人代表
「皆さんお疲れさまでした。何か皆さんの中に発見がありましたか? 第一部の最後に、塩野先生が「それで、今は幸せですか?」という問いかけを地元のお年寄りにされましたが、その答えがとても印象的でした。1人の方は「まぁ、何とか。」もう1人の方は「今では幸せだと思っている。」そしてもう1人の方は、「まぁ、これでええんじゃないでしょうか。他の町に住みたいと思わないんだから。
ええんじゃないでしょうか。」とおっしゃいました。
幸せというのは、もしかすると、どこかで何かを諦めることで得られるのではないかと思いました。恐らくこの言葉の裏側には、今までたくさんの苦労をしてきた、あるいは、100%幸せとは言えないかもしれないけれど、という思いがあっての、「まぁ、ええんじゃないでしょうか。」という言葉だと思います。でも、それこそが幸せなのじゃないかと思います。それはこういう厳しい自然を相手に、ずっと生活して来た方たちだから、知ったのだと思います。私のように、都会でほとんど全てお金で解決できる生活をしていると、お金を出せばもっと買えるのではないか、もっと幸せになれるんではないか、もっと手にいれられるんではないか、そうやってキリがなくなって行きます。諦めるという事ができなくなっていきます。それは実は不幸なことなんじゃないかと思いました。
私がお世話になったお宅では、お父さんが4年前に71歳で医療ミスで亡くなったそうです。都会ならす ぐ訴訟になるところですが、お母さんは、「とても悲しかったけれど、しょうがないもんねぇ。先生も一生懸命 やってくれたし、最初から殺めるつもりはなかったんだし。」と、話してくれました。その事をずっと恨みに思 って暮らしていくか、そこで諦めて、それでも先生に、「ありがとうございました。」と言って終わりにするか。 そこでその後の人生が大きく変わっていくのではないかと思います。
皆さんは、この村で、どんな幸せを見つけられたでしょうか。昨日の夕食会で会った方が、「本当に良い 村ですね。村の人たちが総出で自分たちを歓迎してくれているのが、折々、端々に染みてくる、何だか涙 がでそう。」と、目に一杯涙を溜めておっしゃいました。私も涙が出そうという瞬間が何度もありました。きっ と皆さんもそうだったと思います。この感動の種を、どうか今度はご自分の地域に持って帰って下さい。そ して、ご自分の地域でその種蒔をして下さい。日本再発見塾は開催地だけでの事ではありません。参加 者の皆さんが今度自主的にご自分の地域で、新庄村で頂いた種を持ち帰って撒いて行く、その種を日本 中で蒔いて行って花を咲かせていく。それが日本再発見塾です。
最後に、何ヶ月も掛けて村総出でお世話をして下さった新庄村の皆様にあらためてお礼申し上げます。
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皆別れを惜しんでいつまでも手をふり、バスを見送りました。