波佐見町について | 関係者一覧 | タイムテーブル |
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塾2日目の朝8 時、波佐見町文化会館に到着すると、青空市場に早くも売り子の声が聞こえてきました。
急須、お茶碗、マグカップ、そして、野ア洋光さん監修のプレート(NOZAKI プレート)と、いろいろな波佐見焼がずらり。また、新鮮な無農薬野菜を百笑会のメンバーが販売していました。
特に、NOZAKIプレートは大人気でした。松・竹・梅の寿、ガラス文様、菊・桜の花文様など、同じ花でも、書き手によって絵柄は様々でした。「一つだけと思っていたけれど、素敵なのでどうせなら、たくさん買おうと思って・・。」気づいたら、5枚もまとめて買っていたという方も多かったようです。中には値切っている方の姿も・・・。「波佐見皿踊りの一体感と民泊で、波佐見焼の陶磁器は、自分の体の一部になったみたい。そして、これからの暮らし、幸せを考える良い機会となりました。」と参加者は喜んでいました。
青空市の後、波佐見混声合唱団と児童合唱団によるコーラスが披露されました。特に子供たちのコーラスは、涙を流す参加者がいたほどの美しさでした。
波佐見町では昔の民話や方言を掘り起こし、それらを歌にして伝えているとのこと。波佐見町出身の児童文学者である福田清人さんが、波佐見の風土を詠んだ俳句を合唱曲にしたものなどが披露されました。
万葉の時代、男女が山野に集い、顔や名を明かさずに歌や句を詠み合い、想いを交わす風習がありました。それが、歌垣です。言葉に思いをのせ、歌を詠むことで心と心を通わせる日本古来の伝統を、現代にそして波佐見で復活させました。
事前に配布された投歌用紙には「どのように歌を作れば、相手に届く歌になるのか」という簡単な説明が書かれており、和歌を詠んだことがない人でも、歌を詠むことができるようになっています。
今年も、上野先生が寄せられた短歌に思いを馳せて行う解説や突っ込みが、会場を沸かせました。
上野先生と掛け合いをしていた学生さんも、うまくフォローをしていました。問歌と答歌との間には、鬼木鉦浮立の「笛の音」の演奏が入り、歌の掛け合いがいっそう盛り上がりました。
まず、問歌とともに、上野先生が選んだ3首の答歌が発表されます。
観客は壇上に上がった3名の詠み人を眺めながら、上野さんの講評に対する彼らのわずかな反応を見て、作者が誰であるかをさぐろうとします。
■問歌1
いとおしき うつわ尋ねし 山里に 炎と燃えて 君と語らん
「君っていうのは、波佐見町の人全員を指すのでしょうか?それとも特定の一人の人を指すのでしょうか?」との上野さんの質問に対し、「特定の人でしょうねえ」と答えた詠み人。会場に笑いが起きました。
■答歌
選 水の里 せせらぎの音 聞きながら 心はうらはら 君と燃えてむ
「前半部分は『せせらぎの音』と静かな雰囲気を漂わせ、後半部分から一転して『燃えてむ」と熱く
なる句ですね。」と語る上野さん。「民泊先で本当にせせらぎの音を聞きながら、この歌を詠みま
した」と、歌を詠んだときのことを語る詠み人。
めらめらと 燃えて燃えぬく 永遠に あなたと 私 この山里で
燃ゆる 思い あったわネと 夫(ツマ)と語る
「こんな歌を詠んでしまって家族に亀裂が入りませんか?大丈夫ですか?」と上野さんが突っ込み、会場を沸かせます。
■問歌2
金色の 里山ひとり たたずみて 思いはせたる 遠きひとりに
■答歌
選 想うにも 飽きてきたので 手をのばす 酒の入りたる波佐見の器に
今日までは 満たされることなき この想い 今日よりは行きて触れたし 君の御手に
金色のかまを見つめて 思い出す 大きくやさしき 君の手のひら
「映像が思い浮かぶ句。映画にできそうな句ですね。僕もう、キャスティング考えました」と上野さん。「器を作っていた人を思い浮かべて作りました」と語る詠み人に対し、「ああ、あの人ね、これでもう個人名特定できました」と突っ込む上野さん。会場の人たちの頭にも、昨日訪れたときに 出会った「器を作っていた人」が思い浮かんだのか、笑いが起こりました。
■問歌3
君想い 窓の外へと目をやれば 雲目に映る 夜半の月かな
これは文学部に通う学生実行委員の中崎さんが作った歌です。「『雲目に映る夜半の月かな』の後半部分は、和歌のことを知っている人が作ったな、というのがわかるんですよね」と上野さん。「これは、あて先はどちらですか?」との質問に対し、「あて先はまだ不明です」とかわしてみせる
中崎さん。
■答歌
選 君愛し 肩寄せあいて 語りあかす 一閃さし込む 朝(あした)の陽
「パっと差し込む朝の光の映像が思い浮かびます。色っぽい歌ですねえ。」と上野さん。選んだ歌の作者が会場に不在というハプニングにもかかわらず、中崎さんが「こちらの句もあて先が不明でしたね」とうまく切り返していました。
今聞きし 電話のあなたの一言を 熱く抱きて 振り仰ぐ月
上野さん「過去にこういうことがあったんですか?」「ずっと昔だったので忘れてしまいました」と詠み人。
窯の火に ゆれる姿に 君想う はるけき月に 浮かぶシルエット
「シルエットという言葉がカッコよく決まっています」と上野さん。
今年も答歌には、過去の恋愛を思い浮かべながら詠んだ歌や、波佐見町での出会いを詠んだ歌など、個性あふれる愛の歌がそろいました。波佐見町のことが詠まれた歌に対しては、同じ場所で同じ時間を過ごした参加者同士、「ああ、あのことか」と、共感できる部分も多かったのではないでしょうか。言葉の深みとおもしろさを存分に味わう時間となりました。
◇
進行役 澁澤寿一運営委員
語り手(1) 岩崎義信(地元達人)
語り手(2) 中尾博文(百笑会)
聞き手 利光 晋(学生実行委員)
聞き手 学生実行委員の利光です。これまで農業についてはほとんど知りませんでした。これから皆さんと鬼木に行くので、その前に波佐見町の農業についてお聞きしたいと思います。まず、岩崎さんから波佐見町の農業を紹介していただきます。
聞き手 |
田植えは昔は、「結」でやっていたのですか? |
岩崎 |
隣り近所がお互いに助け合ってやっていた。今日はAさんの家、次はBさんの家という風にお互い様だった。 |
聞き手 |
今はそのような「結」の助け合いが少なくなっているのですか? |
岩崎 |
今の農作業は機械化されているので、一人でやることが多い。「結」の精神は薄れてきていると思う。 |
聞き手 |
防除も一人でやっているのですか。 |
岩崎 |
ヘリコプターなので、共同防除だが、人はいなくても勝手にやってくれる。一時期は家族だけでやっていたこともある。 |
聞き手 |
棚田のお米は美味しいと聞きましたがなぜですか? |
岩崎 |
鬼木は昼夜間の温度差が大きいため、美味しいお米になります。 棚田を含む田圃はダムの役割をしてくれますし、地滑りなどの災害防止にも役だっています。 また、棚田は美しい景観を作っています。水資源の涵養にもなっていて、養分を含んだ水を少しずつ流してくれます。機械は能率を上げるために導入したのですが、高価でなかなか買えません。機械化によって、農業だけで食べていくことが難しくなり、兼業になった人も多いと思います。昔は特にやきものの仕事に就く人も多かったと思います。機械化によって、「結」がなくなったと言うことです。 |
聞き手 |
昨日、三股皿山に行ったのですが、昔は分業が進んでいたと聞きました。この地域には助け合って作るという精神があるのではないかと思いました。 「結」の精神は共同・無償・自発の精神だと思います。こういった考え方は、自分だけが儲かればいいといった自己中心的なものでなく、周りの人といい意味で競争するという意味で経済の基本を自ずと押さえているなあと感じました。 |
進行役 |
スライドを見てはっきりとわかるのが、昭和40 年くらいまでは大勢で農作業をやっていますが、その後は一人で農作業を行っていくようになりました。 昭和40 年、1965 年の東京オリンピック前後が日本の国、農業の大転換期となっています。なぜ基盤整備を行ったかというと、機械効率のよい農業をやろうということになったからです。 「それまではみんなが支えあって農業を行っていた」というと美しい話をしているようですが、決して美しい話ではなく、一人前の労働力として、能力を持っていないと「結」に入れませんでした。必死になって皆で支えあって、自達の肉体を自分達でどうやってまかなうかという時代が昭和40 年まで続いてきました。ですから景観をつくるために棚田を作っているのではなく、自分達が生きていくため、要するに自分の肉体を支えるために作ってきたのです。 いま若い人達は頭のなかで世の中を考えていると思いますが、そんなことはいっていられませんでした。頭の中のことと自分の体を生かすことは別なのだと、自分の体をどういかせるかということを必死になってやってきました。田植えをすると田植えがどんなに大変なものかということが分かると思います。田植えをした目で鬼木棚田を見るとどんな思いで先人が棚田を作ってきたかイメージできると思います。ところが昭和40 年代を境に農業がガラッと変わってきました。 昨日塩野先生のお話に出ましたが、ご飯一膳の値段とイチゴ一個の値段が同じです。私たちのマーケットがそういう値段をつけてきたということは、自分達の食べ物を自分達でつくるということではなく、色々な機械を外国に売って、そのお金で海外の食料を買ってきましょうという国に方向転換をしたということです。自分達の肉体は自分達で作りましょうという事ではなく、工業を発展させて、自分の生活・命をお金で買うという生活に大転換したことが、今回見ていただいたスライドの風景に出ています。 |
◇
波佐見の農業に関する話を聞いた後、バスで鬼木棚田に向かいました。
バスを降りると、まずはカカシ達がお出迎えです。鬼太郎や石川遼くんといった人気者もいれば、中には社会風刺たっぷりのものもありました。
野ア洋光さん監修の特製プレートを受け取り、波佐見町のお母さん方が作ってくださった、だご汁、ちまき、みそ漬け、ごぼうのきんぴら等々、波佐見のごちそうを盛りつけていきます。そのプレートを持って棚田に座り、さあ皆で「いただきまーす!」。
食べようとすると、なにやら賑やかな音楽が鳴り始めました。鬼木浮立です。
浮立とは、江戸時代身分制度の厳しい中、農村の百姓が自らを勇気付けて生きる為、喜びと悲しみと労働の厳しさから自らの心を解放しようと、誰からとも無く沸き起こった自作自演の芸能です。そして、鬼木の浮立は、江戸時代からの伝統を持つ波佐見町の4 つの浮立の内の1 つで、町指定の文化財となっています。起源は明らかではありませんが、150 年ほど前、佐賀藩から直接伝えられたといわれています。
この日も晴天に恵まれ、美しい棚田の景観と愉快な浮立を見ながらの食事は格別でした。
残ったご飯でお母さん方が作ってくれた「棚田米の塩むすび」、これもおいしかったです。嬉しいことに、自分で使ったプレートと湯呑は持ち帰って良いとのこと。波佐見ならではの心づかいに感動でした。
◇
分科会では、塾での二日間を通して気づいたこと、感じたこと、波佐見町や日本の未来について大いに語り合いました。参加者・地元の方双方から、様々な再発見、新発見があったようです。
●長崎県等九州地区外の参加者から
・とにかく、もてなしの心が素晴らしく、参加して得るものが多かったです。
・三股地区の各工房を見て、改めて作ることの大切さを知り、やきものを見る目が変わりました。
・波佐見町の人はとても元気だと感じた。地元の方の協力がないとこのような塾はできない。
・普段東京にいるとやきものは単なる製品にすぎませんが、大変な努力をして作っているのが今回分かりました。今後はもっと器を大切にしていきたいと感じました。
・民泊先でとてもよくしてもらいました。感謝です。
・三股は何もないと聞いていたが、心に残るいいところだった。
・波佐見では家族をほめる人が多くて驚いた。
・日本は様々な地域に宝物があるのだということを再発見しました。
・2009 年「第五回日本再発見塾in 岡山県新庄村」の開催地、新庄村からやってきました。新庄村では日本再発見塾開催後に、匠や技をもっている職人の方が何人か亡くなり、改めて次の世代につなぐことの大切さを知りました。1000 人の小さい村なので一気に大きく変化することはありませんが、村の人の意識が徐々に変わりつつあることは確かです。今後の暮らしや、生き方を考える大きな転機となりました。
・波佐見焼を売り出すためには、地域全体をブランド化し、物語を売る構造が必要ではないか。
・こんなに素晴らしいやきものや文化があるのに、世の中に発信していないような気がします。とても残念なことであり、これからに期待しています。
・「人を育てる」ことを自分の町でも生かしたい。
・自分の地元も深く掘り起こしたい。
・一過性のイベントにしないよう、再発見塾の後が大事。
・若い人たちとネットワークを作っていけるともっといい。
●長崎県内や福岡県など九州地区の参加者から
・やきものが生活の中に根付いており、そこに地域に根ざして仕事をつづけるという気持ちを感じた。
・波佐見の人たちの連携や仲の良さを感じた。
・都会とは違った生活に豊かさを感じた。
・窯業が分業体制だったからこそ、そこに兼業農家の人が入ってくる余地があったのではないか。だからこそコミュニティの強さも形成されたのだろう。
・長崎に住んでいて知らなかったことをたくさん知れた。
・波佐見の人の温かさを感じた、民泊先で深い話ができた。
・民泊ということで少し不安でしたが、とても楽しませていただきました。
・同じ県内にいながら、波佐見町のことはこれまで知りませんでした。波佐見町の良さを実感できた。
・どぶの中まで町民の皆さんで掃除したのではないかと思うほどきれいで、波佐見町民の方々に歓迎を受け、波佐見町の皆様の熱い気持に感謝です。
・波佐見焼がどのように作られているのか今回初めて知りました。今回の参加を機に、波佐見についてもっと知りたいと思いました。
・野外活動でもっと時間がほしかった。
●波佐見町町民から
・思いがけず、友人が増えた。
・民泊に対しての不安が大きかったが、地域を違った視点で見るきっかけになり面白かった。
・もっと若い人も巻き込んだプログラムがあれば良かった。
・波佐見のよさを改めて知った、波佐見のことをより好きになった。
・30 年波佐見に住んでいるが、三股や中尾に行ったことがない。行ってみたい。
・行ったことのなかった地区へ行き、波佐見町の魅力を再発見できた。
・本当は新しいことを次々としていきたいが、まだ保守的なところも残っている。理想と現実の中で農業と窯業がうまくコラボレーションしながらどう生活していくのか考えていかないといけない。
・波佐見町は、様々な文化が折り重なっている町。調和している町。
・せかせかしていない、等身大の暮らしが魅力的。日本が失いつつあるゆとりのある暮らしが残っている。
・豊かな文化や技がある。しかし、後継者不足。ずっと続いていってほしいものが多いゆえ深刻なこと。
・どうやってつなげていくのかという継承が重要。
・お金は無いが、人の繋がりはある。とても豊かな暮らし方が波佐見にはあるということを知った。
・今後も波佐見町の文化や繋がりを大切にしていきたい。繋がりが根付いている。
・特に変えるものはない。今のまま、楽しく、豊かな生き方を続けていきたい。
・今、自分のいる環境や人の輪の中でどれだけ楽しく生きるかが、豊かな生き方に繋がってゆくのでは。
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400年の歴史を誇る波佐見焼と農業が地域を支える波佐見町での日本再発見塾。全体の放談会では、参加師範が、それぞれの分科会での議論や塾の感想などを披露しました。
●佐川旭さん(建築家)
分科会の中で九州から来た参加者からは、波佐見の人の“もてなし”に地域のエネルギーを感じたという意見が多かったです。九州以外から来た参加者からは、波佐見の素晴らしさをもっと外に発信すべき、地元の方達もそのよさに気づいていないのではないか、という意見がでました。人間は定住をはじめることで生活の工夫が始まりましたが、その中で一番大切にされたのは、村におけるコミュニティです。波佐見の棚田には、まさにコミュニティを大事にしてきた生活の知恵がいっぱい詰まっています。風土とは風と土によって作られます。風は外の人、土は地元の人、今日の風をどのように地域に活かしていくのか、若い人と一緒に、町民の皆さんで考えてもらいたいと思います。そして来年は是非自分たちで再発見塾を開催してみてください。
●塩野米松さん(作家)
日本再発見塾の中で、地元の人達が地域に長く住んでいても行ったことのなかった場所に足をのばす機会をつくり、改めて見ることで、これまで気付かなかったことが見えてきたのではないでしょうか。また、民泊では、泊る人と受け入れる人の両方に不安があるものの、互いに向き合って話をすれば、誠意をもって接したくなるものです。今後は、若い人がもっと参加すれば、波佐見の次の世代が何をすべきかが、見えてくるのではないでしょうか。
●上野誠さん(国文学者)
今回の塾での交流を今後につなげていくため、例えば家を改修しようと考えている際は、建築家の佐川さん、波佐見の魅力を発信できる町政要覧を作成する際は、作家の塩野さんといったように、出会った師範たちにいろいろ相談をして、次につなげてみてはいかがでしょうか。
●高橋世織さん(国文学者・文芸評論家)
波佐見の合唱団のレベルが高いことに驚きました。披露された歌の歌詞を作った波佐見出身の優れた国文学者・福田清人氏は私の恩師の先輩格にあたるので、波佐見に何かのご縁のようなものを感じています。地元の人たちが披露してくれた歌や踊り、特に夕食の時の皿踊りは解放感に溢れていました。また、昼食の時に見た棚田での踊り(浮立)は金属楽器の音色やリズムなどが、バリ島の民族音楽・ガムランに似ており、昔の労働は、歌や踊りが含められていたことが大変興味深かったです。地元の言葉と食文化が失われ、地域そのものが衰退していくところが多い中、自らの文化を維持しながら地域外のものを取り入れている波佐見から、色々なことを学ぶことができました。
●野ア洋光さん(料理人)
文明は豊かになっても滅びます。自然(水)があることが幸せです。今、中国人は日本の水を求めて、日本の地方の土地を買っています。それだけ水は、人間にとって生きるために必要なものです。地方はそれを誇りに思っていいのです。安心安全はお金にはかえられません。コンビニのおにぎりは1 個100 円です。でも、普段私たちが高いと思っているデパートの高級米で作ったおにぎり一個は、30 円くらいにしかならないことだって私たちはわかっていません。地方には誇るべきお米がたくさんあります。波佐見には波佐見の風合や真心があります。お金じゃなくてお客さんが喜んでくれることが嬉しいという気持ちが大切です。今回の塾は「記憶に残る味」ということがすべてだと話しました。料理には目に見えない努力が結集しています。その地域の環境、食材の生産にかけられた労力も含め、全てがつまっており、「記憶に残る味」という点では、料理を引き受けてくれた地元のお母さんたちの力がとても大きかったと思います。
●藤原誠太さん(養蜂家)
窯業や茶畑などを見学し、町が清潔に保たれている地域だと感心しました。分業で生産を行っている窯業では、それぞれの作業を担う互いの気持ちを尊重し、支えあう気持ちが感じ取れました。この気持ちが地域をきれいに保っている要因のひとつではないかと思います。また波佐見町では年配の人たちが尊敬され大切にされていて、それぞれの役割を担っていることが印象的でした。
●エバレット・ブラウンさん(epa 通信社日本支局長)
波佐見の人たちの温かい気持ちに感動しました。分科会では、波佐見には「自分の夫をほめる婦人が多い」という意見が出され、すごいことだと思いました。この「日本一、夫を愛する町」ということが、もてなしの心につながっているのではないかと思います。日本全国を歩き回ると地域の雰囲気が暗いところ、明るいところがありますが、波佐見は明るく温かいところが印象的で、感性も豊かで、伝統文化も数多い町です。
これからはどのようにして伝え、持続していくかが課題です。「文化は川のように流れるもの、地下水のように見えなくなっても2、3 世紀後にまた湧き出してくる」というインドの舞踊家の言葉があります。日本の文化は貧しくなったように見えるが古い文化が新しい形で生まれかわってくる、波佐見も心の豊かな人が多く素晴らしいので、文化が新しい形で生まれ変わってくると思います。また、民泊も楽しく、多くの会話ができた意味は大きいです。土地の物語、やきものの物語等、たくさ
んの物語も魅力的です。
●三好礼子さん(エッセイスト・国際ラリースト)
「絆」や「食」を大切にしている本物の暮らしを見ることで、その重要性にショックのようなものを受けました。中尾の皿山はその大きさや楽しい雰囲気、人々の暮らしがフランスにある海に突き出している教会、モン・サン・ミッシェルに似ているように感じます。また、住んでいる人の笑顔がよく、暮らしを楽しんでいるのがわかります。波佐見では、各集落がお祭りなどを活発に開催するなど、いろいろな取り組みが自然発生的に増えており、参加者からは「久しぶりに波佐見に来たら、いい変化がたくさんあった」という声もありました。さらに、50 軒以上の家が民泊に協力してくださいましたが、お客をもてなす距離感や温度が、とても絶妙でした。波佐見はそのままで、ぐんぐんと目の中に春の光を入れて輝いてください。
師範の挨拶の後は、これまでに日本再発見塾を開催してきた地域の参加者3名から、塾での経験がその 後どのようにまちづくりに活かされているかの紹介がありました。
最後に、司会を務めた運営委員の後藤健市さんより、「今回の波佐見町の塾は、地域に残っている文化を強く感じることができた。私たちが便利さの中で忘れていた、不便な中にある“関係性”という豊かさに気付くことができた。豊かな関係を作ることが私たちの追い求めている姿かもしれない。この日本再発見塾をうまく活用し、さらに多くの人達と関係を作ってください。」と締めくくりました。
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閉講式では地元実行委員、達人、学生実行委員、呼びかけ人による挨拶がありました。
●波佐見町実行委員 石原正子さん
昨日と今日の二日間、天気に恵まれ、又紅葉も綺麗でこの大会を祝ってくれているようでした。4月にこの日本再発見塾実行委員会が出来た当初は、どのような形になるのか見当もつきませんでしたが、6月に東京から来られた委員の方とキックオフミーティングを行い、話し合いを重ねるうちに少しずつ内容が分かってまいりました。実行委員だけではできないことも町民の方々が関わって下さるようになったことで次第に形になっていき、波佐見という地域の底力を感じました。また普段、波佐見で暮らしていると気がつかなかったことも、参加者の皆さんの目で見た波佐見というのを投影して頂いたことによって、自分たちの町の魅力を再発見することができたと思います。今は、この塾が無事に終わり満足感でいっぱいです。この塾のためにご協力を頂いた皆様、本当にありがとうございました。
●料理の達人 松尾ヒサ子さん
今回、料理の担当ということで、どんな料理が波佐見の郷土料理としてあるのかとやってみましたら、25種類ありました。その中一つで、ぼうぶらずうし(かぼちゃのたきこみご飯)があります。私は、宮崎出身で「ぼうぶら」の意味がわからなくて聞いたところ、ぼうぶらは、ポルトガルから長崎を通じて入ってきたのだそうです。それで、こちらでは「ぼうぶら」と呼んでいたそうです。はじめは、方言の一つか なと思っていたので新しい発見をした思いでした。25種類の郷土料理は、もちろん家庭でも作られているのですが、それぞれに得意な達人たちがいて、どの料理は誰が担当するというのがすぐに決まり、皆様にお出しすることが出来ました。お味はいかがでしたでしょうか。こうした日本の郷土料理は「ひらがな」の料理なのです。私は地域の委員をしておりますが、子どもたちにこうした料理を伝えていくために「ひらがな」の料理を食べましょうと申し上げています。ぜひ皆様も「ひらがな」の料理を食べてみてください。 今回は本当にありがとうございました。
●呼びかけ人を代表して 佐川旭さん
私はラオスの貧しい地域に行って小学校を作ったりしておりますが、行ったとき子供たちに夢はなんですかと聞きます。そうすると逆に夢とはなんですかと返ってくることがありました。かつて日本人は国の為、家族の為に働いて生きてきたと思います。しかし、近代化し豊かさの中で自由になったにも関わらず夢をなくしています。これまで日本人が手塩にかけて作ってきたものというのは、ザラザラしているものが多いのですが、段々と日本全体がツルツルしたものが多くなってきたように思います。この二日間で感じ取ったこと、学んだことを自分の宝石箱にして、時々あけて自分の生活と照らし合わせてみると、今後生きていく方向が見えてくる、そんな気がします。今回のテーマは「手作り」と「幸せ」です。「手」というのは「仲間」という意味で、「幸せ」は「仕合せ」と書いたりしますが、それは「つながり」という意味です。この「仲間」と「つながり」という二つのキーワードを今回の二日間から感じ取っていただければと思います。皆様、本
当にありがとうございました。
◇
お帰りになる参加者のみなさんを総出でお見送りしました。またきてね!