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日本再発見塾

高島の歴史

 高島市は、平成17年1月1日に高島郡6町村が合併し誕生しました。
当地域は、古来より京都、奈良の都と北陸を結ぶ交通の要衝として栄え、中でも陸上交通は比叡・比良山麓を湖畔に沿って走る西近江路や、塩漬けされた鯖を運搬する街道であったことから鯖街道と呼ばれる若狭街道が主となり、これらの街道と大津方面への湖上交通の拠点である港町や宿場町として栄えてきました。
高島という名称は、郡(こおり)という行政区画が成立した奈良時代の頃から使われていたといわれています。古くは万葉集や和名抄などにも登場し、読みは「太(た)加(か)之(し)萬(ま)」と記されることから、早い時期から「たかしま」の呼称が定着していたようです。一説には、三尾国(現在の市南部域と思われます。)に高島宮があり、これが高島の名称の起こりになったともいわれています。
 また、市内の安閑神社の前に、不思議な絵文字が刻まれた「神代文字の石」と呼ばれる碑があります。今はなき三尾神社に伝えられたという「秀(ほつ)真(ま)伝(つたえ)」の、謎の古代文字とよく似ており、いにしえのロマンヘいざないます。