高島市は、滋賀県の北西部に位置し、総面積は約511キロ平方メートル、総人口は約5 万5千人を擁しています。 2005年1月1日にマキノ町・今津町・朽木村・安曇川町・高島町・新旭町が合併し、新しく高島市が誕生しました。気候的には日本海側に近いことから冬季の寒さは厳しく、積雪量の多い日本海型気候となっています。また、秋季には「高島しぐれ」と呼ばれる降雨がしばしばあります。 |
経路探索〜「生水(湧き水)」と「川端(かばた)」のある生活〜
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■高巖山曹洞宗興聖寺 (こうしょうじ) 別名道元禅師開闢道場。元々は城で、かつての福 知山城城主朽木氏の本家(菩薩寺)にあたる。 仁治元年(1240)に七堂伽藍が完成し、以後代々佐々木信綱庶流の朽木家の菩提所として発展し、また永平寺の直末として存続している。室町中期以降には足利将軍の仮御所として使用された。境内には、国の名勝指定を受けている足利庭園がある。 |
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■正傳寺(しょうでんじ) 高島市には「西近江七福神めぐり」がある。開運招福の宝印を求める人たちの人気となっているが、この正傳寺には古代インドの破壊神で大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合して食厨の神となった大黒天が祀られている。山門をくぐった左手に湧き水があり、本尊には平安時代に仏師有円・寛応作の木造薬師如来座像が安置されている。 |
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■藤樹書院 近世初期の儒学者、中江藤樹・なかえとうじゅ(1608 〜48)が開設し、晩年を過ごした近世最古の私塾。門 弟や村人の発意により土地を買い広め、慶安元年 (1648)に創建される。寛政8年(1796)光格天皇よ り「徳本堂」の堂号を賜わる。明治13年(1880)上小川村の大火で創建時の建物は焼失し、2年後に県内外の募金によって瓦葺の建物として再建される。 |
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■朽木新本陣 道の駅「くつき新本陣」は昭和62年、鎌倉時代から明治維新までの間、この地を治めた朽木氏の城館・朽木の中心であった朽木本陣の機能を復元し、むらづくりの発信基地、村民のコミュニケーションの拠点として誕生。朽木地域の観光情報発信、コミュニティー醸成特産品の紹介にイベントの開催などバラエティーに富んだ機能を備えている。 |
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■日曜朝市 正月三が日を除く毎週日曜日と祝日の午前7 時から、地元の人たちが自作の産品を持ち寄る朝市を開催している。新鮮な農作物のほか山菜、漬物などが喜ばれており、中でも一番の人気特産物は「栃餅」と「鯖のなれずし」。栃の木が多いこの地の土地柄と、鯖街道の名残を今に伝える味。朽木の歴史と個性が感じられるふるさと産品として根強い人気がある。 |
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■栃餅 あんこや蜂密など甘いものに合う栃餅は、少々の酸味と、こくのある独特の味と香りが特徴。そのままでは食べられない栃の実を、木灰と山の清流にさらしてアクを抜き、自家製のもち米と合わせてつきあげる伝統食。 |
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■鯖のなれずし 朽木の特産品“鯖のなれずし”は平安時代から作られている。背割りした一塩鯖の腹にご飯を詰め込み、山椒と塩を振って桶で発酵させて作る伝統の保存食。血圧を正常に保ち、豊富なビタミンが疲労を回復させ、健康食としても最適。 |
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〜朽木の伝統工芸品〜 原料や製法に多少の差異はあっても、昔の名物は今も健在である。食べ物だけでなく、朽木は古くから塗物の椀や盆など、木工品の産地として有名な土地柄だ。豊富な「朽木の杣」、「漆」などを利用してつくられた膳具のことが古書の「毛吹草」や「嬉遊笑覧」に散見できる。 |
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〜近江聖人 中江藤樹(なかえとうじゅ)〜
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〜高島にまつわる民話〜 旧高島町が舞台。竹藪の中にスズメのお宿があった旧高島町から旧安曇川町にかけては竹藪も多く、安曇川流域では豊富な竹を利用して扇の骨(扇骨)が古くから生産されていた。それはいまも変わらず、高島扇骨として全国シェアの約9割を占めている。 |